古代より存在したが、文学、音楽、美術などを包括して一つの領域とみる考え方、すなわち類概念としての芸術は、ようやく18世紀中葉の西欧において成立したものである。
この近世的概念としての芸術はまず「美しいart」(フランス語ではbeaux-arts、英語ではfine arts、ドイツ語ではschne Knste)と表現され、日本でも当初(明治5年以後)これを直訳した「美術」が芸術の意味で用いられた。
西欧語の「美しいart」は芸術一般をさすとともに造形美術の意味でもあるが、日本語での芸術‐美術の区別が定着したのは明治30年(1897)以後であり、また最初に訳語としての「芸術」を用いたのは1883年(明治16)の中江兆民と思われる。
しかし「藝術」という語(藝と芸は本来別々の二つの文字であるから、芸を藝の略字として用いるのは正しくない)そのものは、『後漢書(ごかんじょ)』にも用いられた古いことばであり、学問と技芸をさしていた。
芸術活動において伝統的秩序や権威を尊重し、研究や創作活動の純粋性、正統性を保持しようとする精神的傾向あるいは行動様式を包括的に意味する。
アカデミズムの長所は、伝統的秩序や権威の尊重が一定の知的、芸術的系統性をつくりだし、系統的生産性を向上させることができ、また純粋性の追求という理念から現実の政治経済的圧力と妥協しない批判的精神態度をもつ点にある。
しかし、この長所はそのまま短所となる危険性をもつ。過度な純粋性と正統性の意識がやがて排他的な流派を形成し、かつ現実生活を超越する傾向をもつに至る。
この排他性と超越性は知的、芸術的創造性を枯渇させ、形式化、保守化し、伝統至上主義となる。
ジャーナリズムの側から反感と揶揄(やゆ)を込めて指摘されるのはおもにその点である。
元来、アカデミズムということばは、紀元前385年ごろプラトンが創設した私塾アカデメイアAkadmeiaに由来する。プラトンはギリシアのアテネ郊外にアカデメイアを創設し、そこで学ぶ者たちとの禁欲的修業を通して、学問と魂の純粋性を追求した。